平九郎ヤマメ

久しぶりのブログ更新です。内容はほとんど釣りやバンブーロッドには関係ありません。

NHK大河ドラマをご覧になっている方はご存知かもしれないが、今年は我が郷土埼玉県出身の渋沢栄一が主人公である。
先日、妻とともにそのドラマに登場する幕末の兵士(振武軍)渋沢平九郎が自決したという場所(埼玉県越生町)と、近くの全洞院にある平九郎の墓に参って来た。平九郎は元々は尾高平九郎という渋沢栄一の義弟であったが、栄一が渡欧の際に見立て養子となり渋沢平九郎を名乗っていた。

とにかく日本一ダサイ県、はっきり言って長瀞の石畳に負んぶに抱っこだった埼玉県が近年何かと脚光を浴びている、というかただいじられているだけなのかもしれないが?
映画「翔んで埼玉」の大ヒット(劇場に足を運んだ多くは埼玉県民?)、東京から一番近い雲海(あれは雲海か?)が見える秩父市、川越市なども「小江戸川越」と称して観光に力を入れメディアに取り上げられることもしばしばである。そして極めつきが渋沢栄一である。
渋沢栄一は、2024年から使用が予定されている新一万円札の顔。そして今年の大河ドラマの主人公として取り上げられた埼玉県の英雄である。(昨年まで名前を聞いたことがある程度だったくせに!)

ドラマなのだから誰が主人公かによって、随分と味方が変わるが(というかそのように作られている)明治維新といえば、坂本龍馬や西郷隆盛、大久保利通など遠く西日本の方々ばかりが活躍したと思っていたが、わが埼玉県にスンゲェ~人がおっただに。ということで毎週毎週の放送を楽しみに観ているのだが、その中で平九郎というどちらかといえば裕福な農家に生まれた一人の青年が幕末の兵士となり若干22才で自決して果てたことを知った。
ドラマで平九郎の役をやっている俳優さんはもちろんイケメンだが、これが実際の平九郎もかなりイケメン(自決の地には渋沢平九郎の写真がある)だったせいかどうかは分からないけれど、妻はその日家に帰ってから、録画しておいた平九郎が自決する回の大河ドラマを涙ながらに何度も見返していた。

渋沢平九郎自決の地は埼玉県中西部の越生町というところにあって、山間部ではあるが標高は180m弱といったところ。すぐ後ろが小さな川で、覗くと数匹のヤマメを見ることができた。時々上流から流れてくる何かの餌にライズをしたり狭い流れの中を行ったり来たりしていた。
僕たちが地を訪れたのは8月の残暑の厳しい日であったが、振武軍と官軍との戦いである飯能戦争が起こったのが1868年5月23日とあるので、おそらく平九郎がこの地に来たのは初夏のある日であったと思う。平九郎が自決したその日も、この流れには懸命に生きようとするヤマメの姿があったに違いない。僕は22才の若さで自らの命を絶たなければならなくなった若者と、ただ流れの中で懸命に命を繋ごうとして生きているヤマメの生涯というものを対比しながら、しばらくキラキラとした流れの中を泳ぐヤマメに見とれていた。
と、格好良く結びたがったがもちろん釣り人としての目でヤマメを見ていたことも間違いないということを正直に書いておく。

敗走途中に平九郎も通ったという顔振峠からの眺め。平九郎はどのような思いでこの峠を下っていったのだろう。

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